気難しさ

愛せ!

日常/非日常

少し前の日記を読んでみると、昼の暖かさを書いておりましたが、最近ではというもの、昼ですら寒い日が続くこともあり、まだまだ暑い陽の光を浴びることもあるものの、少しずつ、紅葉も見られるようになり、だんだんと、冬に近づいているのだなと、恐らく、冬が来る時も、一瞬にして寒くなるのだろうなと、思うわけなのです。

とはいうものの、もう少し秋の様相を楽しみたいなと思っております。紅葉狩り、さつまいも、シャツ1枚の格好、尖ってしまう感性、こういったものたちを、あますところなく味わいたいです。

とはいえ、秋の夜は嫌でも感性が尖り続けるので、仕事帰り、落ち着いて帰宅したいところが、車から見える景色や日中のことについて考えることで、わたしの中の感性が、どんどん研ぎ澄まされていき、これを冷ますための音楽をどうにか流そうとしたものの、わたしの音楽の語彙では適切な音楽が見つからず、結局興奮した感性のまま家に辿り着いてしまい、大学生の頃は、多くの入力を自分自身に課すほど鋭い感性を求めていたことを思い出しながら、感性を鈍らせる方法も同時に持っておくのだったと、わたしの敬愛する向井秀徳が言うところのキワキワから離れる術を持つべきであったと、ぼやぼやと考えていました。

先日軽トラを運転する機会があり、もうきっと今後運転することはないのかもしれないと思えるほど貴重な体験であったので、全力で食らっていこうと思い、奥田民生のイージュライダーを流しながら運転してました。ここでも自分の音楽の語彙がいかに少ないかを感じたところですが、少なからず、研磨された感性は、軽トラを運転することや最近旅行に行ったことからひとつの考えをわたしに与えてくれました。

先日旅行に行った折、修学旅行生が観光地であるその付近を、楽しそうに歩いているところを見かけました。人生で1回の修学旅行、班になってざわざわと、お揃いの黄色い帽子を被り、おそらく小学生が軽い足取りで歩いていました。高校生もいました。バシャバシャと写真を撮り、お揃いの制服を着て、落ち着いた足取りで歩いていました。

そんな、修学旅行生がワラワラと雑多する場所へ、ランドセルを背負った恐らく小学校4年生の子どもが歩き去って行きました。衝撃でした。

県外からも、国外からも、人が集まるような正真正銘の観光地を、もはや慣れ親しんだ場所として、通学路として、何も景色を見ることなく、ただの道として、通っていったのです。

あるいは。

わたしが喜びながら軽トラを運転している時、対向車線に軽トラがいました。30〜40代の肌が黒く焼け、オレンジのTシャツを着た、仕事帰りなのか、くたびれた顔の、おじさんでした。

かたやうれしく軽トラに乗り、かたやしんどい思いで軽トラに乗っています。

誰かの非日常は、誰かにとっての日常なのだと、感じました。

月並みですが、わたしが当たり前に享受する日常は誰かが望んでも手に入らなかった日常であり、わたしが体験し感性をとんがらせる非日常は、だれかにとっては何でもない、日常に過ぎないのです。

海に行くまでもなく、深夜車を走らせて逃避行をするまでもなく、自死を選ぶわけでもなく、ただただ、隣の人たちを見るだけで、悩みは小さくなるのかもしれません。

とはいえ、最近やっている筋トレで、体が大きくならなくなってきたことは、ちょっとした悩みです。

今回はこの辺りで!