気難しさ

愛せ!

シャロン

もう年度末ですね。いつの間にか。

 

最近はぐっと冷え込むことが少ないものの、温度差があまるほどそこにあるので、何を着て寝ればいいのか分からなくなり、おかげさまで体調もそろそろ沈む熱気球のごとく、地表付近をずりずりと音を立てながら降下するものの、まだなんとか浮いている、そんな状態が続いています。

 

季節の変わり目は確実に体調を崩す私ですが、もはや崩しているのか崩していないのか、何が平時で何が有事なのか、その区別すら曖昧で、52点の体調に鞭打ち、お気に入りの音楽を歌いながら出勤する毎朝です。それだけ、それだけ〜。

 

この年齢になり、周りがどんどんと結婚し、式まであげるサマを見ます。社会人1年目の時に、周りや先輩に聞きまくり、だいたい結婚の報告が続く年齢は予想できていたので、大きく驚きはしないものの、同期が人生の節目(ベタだな)を迎えるのを見ると、何やら嬉しいような、置いてかれる寂しさのような、抹茶チョコのような気持ちになります。

 

少しの不安を抱えるのは、しない報告のことで、すなわち、結婚を含まないもの、購入したもの、家や土地、あるいはというものが、誰に聞こうにも最適解がなく、まだ何も知らないということであることは、もちろん、述べるまでもないような気はしますが、ここから持っておかないといけないものとも思います。

 

社会の波に飛び出してからおよそ3年が経とうとしていますが、ようやく形なってきたな、という感覚があり、やりたいことと出来ることがようやく見えてきて、3年は続けないとな、というのは、よく言われることですが、やっと理解ができるなど、社会に追いついてきた実感があるわけです。

 

ストレスや抑うつの勉強をしていますが、「こころ」の病気であるはずのそれらは、脳の器質を歪めてしまうなど、やはり病であることには間違いないものの、もはやどこからが「こころ」で、どこからが「からだ」なのか、明確に区別することはできないように思えます。

 

このような簡単なことは、今思えば高校か中学の保健体育でやってますね。心身症ってやつです。適応規制、すきだったなぁ。

 

こころとからだといえば、強靭な肉体と精神を持つスポーツ選手たちが思いつきますが、とりわけ、タレント業にも近いような活動をされている、例えばプロレスラーなんかは、日常生活を送るにも苦労しそうで、尊敬します。

 

リスペクト。いいですよね。

 

鈴木みのる選手対アダムコープランド選手という垂涎もののカードで、試合後のプロモとしてアダムコープランドが、「Suzuki…Respect!!」と言ったことは記憶に新しいですね。まっすぐなリスペクト、見ていて気持ちいいです。爽快です。

 

わたしは周りにリスペクトを出せているでしょうか。伝えられているでしょうか。

 

そんな年度末にします。Respect!!