気難しさ

愛せ!

猫ラーメン

さて、久しぶりのインフルエンザA型に倒れていると、更新のタイミングを逃していました。定期的な筋トレむなしく、流行りのウイルスに負けてしまい、久しぶりの高熱に肉体の脆弱さを感じていました。わたしです。

 

11月の終わりにかけていきなり寒々とした空気になり、冬がついに来たかと心と洋服の用意を済ませたところが、12月の中ごろまで夏日になる地域もあるなど、心づもりだけで実際がともなわないみじめな初冬になりました。

 

かと思えば、最近はめっきり寒くなり、雪のちらつく景色がいきなり見えるなど、自分だけが時間の流れから取り残されているのではないかと、震えながら生きています。

 

氾濫する川のように、ごうごうと流れている世の中の忙しさに、自分で許せる範囲でついていこうと、来るべき極寒を見据えて家電や家具を新調しました。新しく家に置かれるものは、来た当初こそ新鮮さがあり嬉しいものですが、しばらくすると真新しさに慣れ、また少しすると直したいところが目につくようになるもので、今はベッドフレームの破壊的なかどにぶつからないよう、平和に同居する術を模索しています。

 

新しく購入したのものというと、長めの旅行を何ヶ月か後に控えているので、大きなカバンも新しくこさえようと、幾日かかけてときめくものを探し、買いました。

 

いつだったか、高校生くらいの時の話ですが、街中に大きなつんつるりんの青いカバンを背負って、大量の荷物と共に歩いている人を見かけ、のちにそれがバックパッカーと呼ばれる、バックパックひとつで旅をする方であることを知り、心の中でずっと憧れがあったのでしょう、5年以上経った今、自分もその姿になろうと、大きなリュックを入手した次第です。

 

いざものが手元に来ると、早速使いたくなるもので、買い物なんかにあててみたものの、やはり本領は旅、膨大な荷物を入れて、えっちらおっちら、世間様の忙しさをはために、ささらってみたいものなのです。

 

ちょうど年末も近くなり、まとまった休みがありそうなので、ここらでひとつ、リュックを背負い、流浪の生活でも営もうかと、画策しています。

 

年末と自分で書いて、2023年の終わりに今いることを自覚しました。

 

毎年この時期になると、どこもかしこもクリスマスやら新年やらと、行事にセールにとせわしなく、人々もそれにつられて浮かれているような、あるいは、節目を迎えるべく支度を整えようと落ち着いているような、そんな気がします。

 

ここで来月の決済通知を鑑みるに、どうやら浮かれているのは人々でもなく、世間でもなく、わたしだけであり、ふくらむ出費と心もとなくなっていく財布の中を見ながら、もう聞き飽きた自粛なんという二文字が頭の中によぎります。

 

増えてきたものを整えようと、大掃除がてら、家にある何冊かの読みかけの本を整理していると、森見登美彦氏の作品が出てきました。氏の作品との出会いはいつか、もう到底覚えてはいませんが、最初は表紙の絵とタイトルに惹かれ、『夜は短し歩けよ乙女』に手を伸ばしたことは覚えています。図書館だったと思います。

 

以来、自分の本棚には氏の本が置いてあり、それは『夜は短し』であったり『四畳半神話大系』であったりするわけです。

 

読むたびに、その文章の表現に心掴まれ、自分もどうにか近づけないかと画策するものの、生ごみを荒らすカラスのように、飛んで散らかした文章をつづるばかりです。

 

そうです。掃除をしてるときに懐かしのものを見つけ、片付ける手が止まる典型でした。

 

かたづけてきます。良いお年をお迎えください。