気難しさ

愛せ!

はじめまして

 

 

 

汗すら沸騰するような燃えたぎる夏を終え、世間様は少しずつ秋の趣を思い出しつつあるようで、早朝と夜には過ごしやすさが感じられますが、陽の猛々しさはいまだに健在で、日中の生きづらさは、これは、20余年人類として活動しているものの、ついぞ慣れることがありません。

いつの間にか蝉の声が弱まり、聞こえてくるのは夕方のツクツクボウシのあの切なさで、とは言うものの、ツクツクボウシは夏の初めっから鳴いていて、もはや季節の変わり目を知らせてくれるものではなくなったとも言えるわけですが、次聞こえてくるのが違う虫の声だと考えると、セミの声はまた来年だと、お別れをしないといけません。

お別れといえば、身内を亡くし、葬儀に出席しました。200人近くが通夜に参加されるなど、生前はとても愛されたことが今になってわかり、立派な人間だったのだと、親族で改めて知ることができました。わたしが死んだとき、どれくらいの人が集まるのか、今からでも行動を見直していく必要があるように思えます。

職業柄知らない大人と話す機会が定期的にあり、その度に楽しく勉強させてもらってるのですが、ジョジョの大統領が言うところの、「最初にナプキンを取る人」は、確かに少ない気がしますね。

今回の葬儀で大人たちと話すことが多くあり、久しぶりの邂逅にみな喜びの声を上げるわけですが、あまりにも時間が空いていると、いくら血が繋がってるとはいえどもほぼ初対面で、人間性を改めて掘ったり、近しい人でも知らないような話題を見つけていくことが、すなわち、初対面との人間と仲良くなるために求められるプロセスを踏むことが、その場で面白く話すためには、やはり必要となってくるわけです。

ここで、そういった関係を作りにいく人間こそが、「最初にナプキンを取る人」なのであり、大統領が言うように、その人間が求められ、限られていることがよく分かりました。

そんな人間になりたいですと書こうと思いましたが、仕事が大変そうなのでやめておきましょう。何事もほどほどが一番いいです。

書くことがなくなりました。また次の時に会いましょう。